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Shinagawa, Tokyo, Japan, 2001

キヤリアー
私の兄、サミュ工ル(サム)について話をするわ。 彼は私の4つ年上。上にチヤンスとサム、下にサリーとデ二ース。私はその真ん中。 どこの兄弟もそうだと思うけど私も年上の兄サムをとても慕つていたわ。 貴方の弟が貴方を慕うようにね。 サムと私はとても工ネルギツシユに色々な遊びをしたわ。力ウボーイとインディアンごっこも大好きだった。 ある時は近所の人達が『屋根は腐つているんだから落ちるぞ』つて大声で言っ ているのに大雨の中、製粉工場の屋根の上を走り回ったりして。 私達に怖いものなんてなくてタフで強健である事を楽しんでいた。 両親は私の事をおてんば娘と呼んでいた。ソフトボール、ハイジャンプ、ハードル、 水泳が得意でできない事などなかった。 時には他の兄弟達と一緒だったけど、サムと私はいつでも一緒、泳いだり、釣りを したり、アイススケートにそりもしたわ。サムは私の事を金魚のフンと思つていたかもしれないけど決して文句は言わなかった。私の事気に入つてくれてたと思う。

一一 1

サムが17オの時、海軍に入隊すると言い出した。 嫌な同級生がいたし、学校が好きではなかったからあそこから離れたかったのね。 親の同意がなければ入隊できる年令じゃなかったし、もちろん父は大反対だった。 それでも父はサムがミネアポリスへ適性テストを受けに行く事だけは承諾したの。父としては不合格になつてサムは学校に残りこの話も終わると思つていたから

サムが合格してすぐに力リフオルニアへ行ってしまった時はショツア だったと思う。 事実私達家族みんな途方にくれてしまったわ。 私は何度も何度も泣いた。全然タフなんかじゃないわ。 突然居なくなつてしまつてサムに何が起きたかよく解らない、その後のサムの人生を よく知らないの。両親は私達兄弟を心配させまいと気を使い私達の前ではサムの話を避 けていたから。

一一 2

海軍に入隊してしばらくしてから私は両親の会話を聞いた。 AWOL/無許可離隊、彼の親友、黒人、刺殺された、次はサム、軍の船で刺された親友とサムがゲイだと責められた、そして脱走し逃げた。断片的だけどそんな会話だった。軍の船が港についた時サムは逃げた。 ヒツチハイアをして、ドツジの車を降りて テキサスで浮浪罪で警察に捕まり取り調べられた。でも脱走の罪には問われずに釈放されたようでその後懲戒除隊になつたと聞いたのを憶えている。 そして彼はどこかへ行ってしまったの、消息不明。 その時は蒸発なんて意味も解らなかったけれど。 私達のおばあちやん、ドリスが苦しむ父を見ていられず海軍や新聞社と私立探偵 (フオイスレツジ)に手紙を書いたわ。 おばあちやん自身にだつて辛い苦しい地獄のような日々だったろうに。私達全員サムが無事に戻って来てくれる事を懇願していた。

一一 3

そして数年後ついにサムがミネソタ州のマンカトに現れたの。 当時私は結婚して子供のホープ3オ、夫のデイーンとミネソタ州のフアリボルト(貴方のお母さんが生まれた場所)に住んでいた。母は自動車デイーラーの会計として働き サムの為に仕事を確保したわ。彼がどんな仕事をしていたのか知らないけど大酒飲みで給料全部をバーで使っていた事は知っている。バーで酒をおごって無一文になつたり、ビリヤードで稼いだ金でまた飲んで(サムはビリードの達人とデ二ースとおじいちやんのドンが言ってた。この時デ二ースとサリーはまだ一緒に住んでいた。) いざこざも起こしていたわ、父の机から金を盗んだり、色々と父を責めたり、家出をしたり、それでも両親は彼を助けようとした。 両親はとても秘密主義だったから何事も漠然であや,ぶやだから全てが断片的だったの。 そしてサムはそこから突然いなくなつた、また消えたのよ。母は深く暗い不安の中にまた突き落とされた。 そして私達全員、とても心配でとても寂しかったわ。のよ

一一 4

それからサムはモンタナ州のオートショツプにいたり、その後力リフオルニアのどこか で下つ端の役人だか公務員をしていたようだけど彼は知的ではなかったと思う。 ちなみに絵を描く事は好きだったわ。小さい頃古いプラインドを新しいものに取り替え る時、彼はいらなくなつた古いプラインドに絵を描いたの、何だかうらやましかった。古いロールアツププラインドに家中のアレョンやチョーア、安い用具を使って絵を描いたわ丸めて置いてあったからそれが何の絵でどんな仕上がりだったか解らないけど。 ゴミになつちゃったのかしら?誰か見たのかしら?だから母はサムがいなくなつた後 アリスマスにキヤンバスと絵の具と筆を私に買つてくれたのかしら? (編集:のちにセントポール警察署の水道パイプ水漏れによる浸水時にあの絵は破損したと知った。) そして1969年11月(ディーン、ホープと私はフアリボルトに住んでいた)に おじいちやんのドンから電話があった。その時の会話をはつきり憶えてる。父:サムが事故にあった。。 私:何があったの?彼は大丈夫なんでしよ!? 父:いや、サムはもういない。。 沈黙が続いた。 調査官によるとサムは力リフオルニアのヴアンナイスで盗んだトラツアを事故つて横転させた。助けを求め外に出て気を失つて、でもその時はまだ生きていた。 サンフランシスコの8レーンもあるハイウェイだったから最初に来た車が彼を空中高く跳ね飛ばし、2台目の車のフロントガラスに叩き付けられ転がり落ちた彼は 3台目の車に頭を繰かれて。o 21台の車つて聞いた。。バラバラ、ぼろぼろになつた彼は袋に入つて帰つて来た。誰も見ることはできなかった。私達は棺の上に彼の写真を乗せたわ。私達の深く大きな悲痛、苦痛はどんな言葉をもつても表せない。惨事などと いう言葉では片付けられないものだった。父は赤ん坊のように泣いていたわ。おばあさ んのドリ スは遺体を見てないから彼の死を否定し何年もの間サムが帰つてくる事を待ち 望んでいたけれど、やがて生きている彼にはもう会う事はできないと受け入れたわ。

一一 5

私達は肉体だけではなくて別の何か、魂とか心とか、宇宙の一部みたいなもので創られているのかもしれない。肉体が無くなつたら宇宙の一部に戻るのかしら?もしかしたら愛する人や恋しい人達とそこでまた出会えるのかもしれないわね?信仰深くなんてないけれど心の平安、安らぎをみつけたいわ。ドリスおばあさんにも安らぎをみつけてほし い。サムはドラツグやアルコールの依存症だった。両親は仕事、住む場所、色々と彼を 助けようとしたけれど彼には私達フアミリーに潜む怪しい遺伝子による恐ろしい病気があった、何年もの長い間酷い状態だった。次から次へと逃げ続けいつも恐怖の中で生き誰かに見つけて貰うのを待つていた。私達には想像のつかない事もしたでしようね。 彼の事を思い出す事はとても辛い彼に起きた残酷な事を思うと胸が痛くて苦しくて涙が溢れる。サムとお父さんやお母さんが今はどこかで一緒にいる事を願うわ。 サムが死んだのは25オ、私は21オだった。 8月26日に66オになるけど今でもサミーが恋しくてたまらないの。

でもジャスパー、どうかこの事件にこだわり苦悩し続けないでちようだい。 貴方に悪い事が起きてほしくないの。もう十分幼い頃から苦しんできたのだから決して貴方を心配させたり悩ませたりするつもりじゃないの。 ただ貴方や貴方のお母さんが悲しんだり悩んだりする事には耐えられないの。 誤字や乱文は許して。サムの人生はここに書いた以上のものだけどよく書けてると思うわ。貴方はどうか素晴らしい将来を築いて行ってちようだい。 一回限りのチヤンスかもしれないんだもの。ここには貴方のお母さんの知らない事も書いてあるから読ませないようにしてね。

一一 6

真心をこめて
おばあちやんより